私は、小さい頃 東京の 大井町線 緑が丘 という駅の側に住んでいた。
緑が丘の駅には、よく石原裕次郎の映画のポスターが貼ってあった。
その頃、私はまだ幼稚園にも入っていない年齢だったと思う。
母に手を引かれて、緑が丘駅に行くたびに、裕次郎のポスターを見ていた。
それで私は、裕次郎を「不細工なお兄ちゃんだな」
と、思っていた。若干3歳くらいで、人の器量を見定める、嫌な餓鬼だったんだな、私は。
で、こんな不細工な兄ちゃんが、大きなポスターになって、駅に貼られていることが、本当に不思議だと思っていた。
で、長い、長い間、裕次郎=不細工な兄ちゃん と思い込んで
裕次郎の魅力なんて全然判らなかった。
それで、しばらくたって、気が付くと裕次郎は
こういう状態になっていて、裕次郎=不細工なお兄ちゃんから
裕次郎=やくざなおっちゃん
という具合に、イメージが変わっていった。
で、別に裕次郎の歌にも魅力を感じなかったし
(演歌とムード歌謡が苦手なもので)
裕次郎が過去に、なぜあんなに人気があったのか理解できなかった。
が、ある日、ビデオで「幕末太陽伝」を見てしまったんですね。
これは裕次郎、というより 故フランキー堺が見たかったせいだ。
で、幕末太陽伝を見たら、裕次郎が出ていて
何だか、裕次郎は演技も下手だし、相変わらず不器量なんだけど
光っているのを感じた。
ビデオ画面の中で、裕次郎の出演画面だけ 光っているんだよね。
あー、これだったのか! と、私は得心しましたね。
確かに不細工なんだけど、他に無い魅力があるんだよね、裕次郎には。
それから、DVDを借りて、裕次郎映画を見まくりました。
裕次郎に演技力を求めてはいけないね。 ただあの方は若さの魅力
という、それだけで光っている。
その分、歳を取るに従って、輝きが消えて行くのがはっきり判るんだね。
神様、というのがあって、裕次郎に類い希な魅力を与えたけど
それは期間限定のものだった。と私は思う。
若いときの裕次郎が魅力的だったのは、よく判ったけど
私は裕次郎のファンにはなれなかった。
裕次郎の魅力は陽炎みたいで、私はその陽炎を同時代で見たわけじゃない。
だから、裕次郎の魅力には了解できても、(芸能人として)愛するまでは
いけなかったんだね。