私には子供がいない。
正直に言えば、私は幼稚園の頃から子供が欲しくなかった。
子供が欲しくなかったから、子供を持たなかった。
けれど、子供がいない、と世間様に言うと
何となく相手がばつの悪い顔をする。
内心(気の毒に)と思っているのがわかる。
私は子供の頃から、赤ん坊になんて、全然興味がなかった。
自分はお母さんになんかなりたくなかった。
だけど、それを世間に言って納得されることは無かった。
「自分の子供は別よ」
「産んでみると可愛いわよ」
などと、私が若いときは散々言われた。さすがに今は誰も言わないけど(^_^;
最近、山口智子さんが「子供を持たない選択」
というのを公にして、話題になったけれど
一人の女が「子供を持たない選択」と声に出して言えるまで
何と戦後60年以上かかっているのだ。
女は子供を持って一人前、という風潮がそろそろ終わらないものか。
何故私が子供を持ちたくなかったか?
というと、
- 自分の遺伝子をあとに残したくない
- 子供に十分手と金を掛けて育てる自信がない
というのが主な理由だ。
遺伝子? そう、私は自分がたいした人間ではないと思っている。
こういう人間の遺伝を持った子供は可哀相だ。
で、もし、まかり間違って、旦那の(優秀な?)遺伝子を受け付いた子供が
大変な才能を持っていて、「医者になりたい」だの「ピアニストになりたい」
などと言い出した場合、私は子供に十分なサポートをしてやれるのか?
ひらったく言えば、子供のために、夫と私はそれだけ金を稼げるのか?
と、いう二つの理由で私は子供を欲しくなかった。
幸いにして、夫だった人(亡くなりました)も、子供が欲しくない人だったので
私は歳をとっても子供を持たない女になった。
正直、子供を持たなかったことに1ミリの後悔もないし、孫がどうのこうの
いう気持も全然無い。
だが、それを世間様に言っても、負け惜しみ、と思われるだけだ。
歳をとったらどうするか? って?
じゃあ、子供さえいれば、老後は安泰なのか? そんな保証はないだろう。
だが、世間は納得しない。女→結婚→子供無し→可哀相
女→未婚→老齢→可哀想
と、いう図式が強固に出来上がっているようだ。
子供をたくさん育てたお母さんは尊敬するが、私はそんなものになりたくなかったのだ。
子供を持たない選択、子供を沢山持つ選択、どちらも尊重されていい、と思うのだが、そういう考えが浸透するまで、日本は、あと何年待たなければならないのだろうか?