初夏になってきたので、さすがに冬布団を片づけなければ、
と思って、冬掛け布団を干し、掛け布団カバーを洗いました。
以前、テレビで、芸能人が、布団カバーとか
敷布(シーツ)などは、汚れたら捨てて新しく買ったのを使う
だから、敷布も布団カバーも激安品を買う
と話しているのを聞いて驚愕しましたが、私は当然、敷布も布団カバーも
洗って何度でも使います。
で、敷布の方は、別に問題は無いんだけれども
掛け布団カバーって、かぶせるのがめんどうなんですよね (^_^;
で、今日も、嫌々、掛け布団カバーを被せていたんですけど
その時、頭の中にこういう言葉が浮かびました
私のやりたくないことは、誰かのやりたかったことかもしれない
私は生きていて、自分で掛け布団カバーをかぶせることができるんです。
面倒だ、面倒だ、と思いながら。
でもね、病気だったり、早く亡くなったりした方は、私が面倒だ、と思うことを
「そんなことができていいな」と思っていたかもしれないんですよね。
そんなことを思ったのはSNSの知り合いの方が最近2人亡くなって
一人は45歳の方、一人は65歳位の方。お二人ともガンだったんですけど
かなりビックリして、
ああ人生って儚(はかな)いな
なんて、柄にも無いことを感じてしまったせいかもしれないです。
どんなつまらなくて面倒なことでも死んでしまっては出来ないし
生きていて、動けることを幸せだと思わないと罰が当たるな、
などと神妙なことをを思いました。